1986年にドラフト1位で横浜大洋ホエールズに入団し主力選手として活躍していた中山裕章さん。
中日ドラゴンズ、中新ホエールズ(台湾)でも打撃選手としてチームに大きく貢献していました。
2003年に現役引退してから名前を聞くことが少なくなりましたが、中山裕章さんは今何をしているのでしょうか。
この記事では、中山裕章さんの現在について詳しく紹介していきます。
【中山裕章】1991年に連続強制わいせつ事件を起こし球団引退へ
中山裕章さんは、1991年12月25日に強制わいせつ、及び公然わいせつの疑いで逮捕されています。
当時はこのように供述していました。
引用:yahoo小さい女の子なら自分の顔を知らないと思った。
強制わいせつ罪については、示談が成立し告訴は取り下げられましたが、球団からは契約を解除されました。
事件後の中山裕章さんは、数週間の寺での修行の後、運送会社に就職。
野球とは距離を置いて、黙々と仕事を行っていたと言います。
【中山裕章】1993年に中日ドラゴンへ入団
そんな中山裕章さんですが、就職先の会社の野球チームに誘われ、再び野球の練習をするように。
次第に復帰を願う声が高まり、財界人グループや地元の高知県が「中山裕章君の復帰を願う市民の会」を結成。
10万人もの署名を集めます。
その結果、’93年12月、中日が打撃投手として1年契約を結び、’94年6月には契約金なし、年俸800万円という条件で正式に選手契約を結んだ。
引用:news.yahoo.co.jp/
中日ドラゴンズに復帰した中山裕章さんは当時、次のようにコメントされました。
引用:wikipedia/これまでのことは深く反省している
復帰後の中山裕章さんはトレーニングに励み、中継ぎとして8年間チームへの貢献を果たしました。
ですが、中山裕章さんが復帰した当初は、球団や中日新聞には抗議が殺到したそうです。
【中山裕章】2002年に台湾の球団へ移籍
中日ドラゴンズに一度は復帰を果たした中山裕章さんですが、33歳の2001年10月、戦力外通告を受け中日を退団。
その後は2002年に台湾の球団「和信ホエールズ(中信ホエールズ)」に移籍しています。
1年後の2003年9月に引退するまで、エース格選手として活躍していました。
背番号は日本球界時代と同じ「19」でした。
最後の試合後のヒーローインタビューでは次のように述べられています。
引用:中日新聞1から出直す覚悟で一生懸命やる
週刊誌でも「その言葉を信じたい」というコメントが記されていました。
【2024現在】中山裕章の今の活動はコチラ!
中山裕章さんの今の活動はコチラ
- 取材の対応
- 実業家へ転身
取材の対応
引退後の中山裕章さんは数々の取材の対応をされています。
- 週刊アサヒ芸能
- 高知新聞
取材の中で中山裕章さんは、事件後の生活や球界復帰までの経緯など、当時の想いを語られています。
その後、メディアへの露出を控えていたようですが、2016年にはスポーツ誌で、自身で事業を始め頑張っていることが高校時代の野球仲間により明かされています。
実業家に転身
中山裕章さんは、球界引退後、会社勤めをしながら、台湾で築いた人脈を通じ竹製品の輸入業を営み始めました。
現在では、アジア各国との貿易のため日本と海外を行き来する生活を送っているそうです。
【中山裕章】1995年に一般人女性と結婚
かつて中山裕章さんには婚約者がいましたが、わいせつ事件をきっかけに破局。
その後の1995年、中山裕章さんは別の一般女性(当時20歳代)と結婚されています。
事件後、運送会社に勤めていた時、知り合いの方から紹介を受け1993年に交際がはじまったとのこと。
球界復帰2年後に入籍を発表しています。
【中山裕章】子供は1人
中山裕章さんの子供ですが、男の子が1人います。
2003年に台湾の球団を引退した直後に誕生したとのことなので、もう成人されているようです。
2004年の「週刊アサヒ芸能」のインタビューでは、不安や懺悔の気持ちを告白されました。
引用:riday.自分が子供を作っても良いのか…
お子さんの名前については、事件後に修行をした佛現寺の住職から命名を受けたそうです。
まとめ
元プロ野球選手として活躍していた中山裕章さん。
現役中に幼女に対しての連続強制わいせつ罪で逮捕されましたが、罪を償い、再び球界に戻ることができました。
その後は結婚されて、球界引退後にはお子様にも恵まれています。
現在、貿易業を営みアジアか各国で活躍中です。
しっかり罪と向き合い立ち直った中山裕章さんを、これからも応援していきたいですね。
コメント