ジュリーの愛称で人気の沢田研二さん。
若い頃は「勝手にしやがれ」など大ヒット曲を連発するなどの活躍されていましたが、最近はテレビへの出演が激減。
そんな沢田研二さんは今どうされているのでしょうか。
沢田研二さんの現在の活動や結婚などのプライベートな情報を紹介していきます。
【2024現在】沢田研二の今はジュリーの面影が消えたと悲しみの声も
1970年代から1980年代にかけて”ジュリー”として一世を風靡した沢田研二さん。
「ザ・タイガース」としてデビュー以降、ソロや俳優としても大活躍されましたが、2000年頃からテレビなどへの露出が激減。
そんな沢田研二さんがカメラの前に姿を現したのは2023年。
この時、沢田研二さんの容姿がすっかり変わっていたコトも話題になりました。
SNSでは「すっかりおじさんになった」「昔の面影がなくなった」など、戸惑いの声も。
それだけ長い間、テレビから遠ざかっていたという事なのでしょう。
それではここからは、沢田研二さんが今どのような活動をされているのか見ていきましょう。
【2024現在】沢田研二の活動内容はコチラ
現在の沢田研二さんの活動内容はこちらです。
- ライブ・コンサートの開催
- 俳優として映画に出演
- アルバムの発売
それでは1つずつ詳しくご紹介します。
ライブ・コンサートの開催
2022年から2023年にかけて「まだまだ一生懸命」という全32公演ものライブツアーを行った沢田研二さん。
ツアーファイナルは”さいたまスーパーアリーナ”で75歳のバースデーライブを行いました。
チケットは完売しており、「まだまだ一生懸命Ⅱ」や2024年のライブのチケットも大人気となっています。
コンサートでは昔のジュリーのまま、とファンの支持を集めています。
昔のジュリーをYouTubeなどで見てカッコイイ!と思い、話題をふったら「昔はカッコよかったけど今は面影もなくなって…」と言われるパターンもあると思うけど、
— 946julie (@skrk1203) July 12, 2019
まずは「歌手:沢田研二」の歌を聴きに行って!
+パフォーマンス!
ライヴにかけるジュリーの姿は外見じゃなく中身にある事がわかるから
ちなみにライブの様子はブルーレイディクスで発売されています。
俳優として映画に出演
沢田研二さんは俳優として映画にも出演されています。
2022年公開の映画「土を喰らう十二ヵ月」では主演を務め、毎日映画コンクールの男優主演賞を受賞。
また、2021年に公開された「キネマの神様」では志村けんさんの代役として出演されました。
こちらも見事な演技が話題になっています。
アルバムの発売
沢田研二さんは歌手としてコンサート活動の他にアルバムの発売も行っています。
主演映画「土を喰らう十二ヵ月」の主題歌「いつか君は」をリリース。
この曲は1996年発売のアルバム「愛まで待てない」の収録曲で、沢田研二さんの提案で主題歌に決定しシングルカットされたそう。
長年のファンの方なら嬉しい選曲ですよね。
なぜ?沢田研二がテレビやラジオに出演をしない理由とは?
一世を風靡するほど人気だった沢田研二さんは、実は今でもテレビ等のオファーがあるそうです。
しかし、本人の意思で出演していないのだとか。
その理由が、「懐メロ歌手」として扱われたくないからというもの。
過去の歌手ではなく、常に現役の歌手として音楽にチャレンジしていきたいとの思いがあるのだそう。
そんな沢田研二さんの気持ちを理解する長年のファンのために、コンサートを精力的に行っているのかもしれませんね。
【ジュリー】2回の結婚歴
沢田研二さんはプライベートでは、2回の結婚歴があります。
- 伊藤エミ(1975~1987):子供1人
- 田中裕子(1989~)
【ジュリー】1975年に伊藤エミと結婚するも離婚
沢田研二さんは1975年に双子デュオ「ザ・ピーナッツ」の姉である7歳年上の伊藤エミさんと結婚されてます。
2人の出会いは、「ザ・ピーナッツ」に沢田研二さんが「東京の女(ひと)」という曲を作曲したことでした。
その後7年間の交際の末、伊藤エミさんからのプロポーズで結婚。
その際に沢田研二さんは歌手を辞めるよう言ったそうで、「ザ・ピーナッツ」は1975年に解散しました。
しかし後に、沢田研二さんと田中裕子さんの不倫が原因で1987年に離婚。
自宅やテニスコート、別荘など総額18億円ともいわれる慰謝料が発生したと言われています。
【ジュリー】1989年に田中裕子と再婚
現在の奥様でもある、女優の田中裕子さんとは1989年に再婚されました。
2人の出会いは1982年の「ザ・タイガース」のコンサートです。
なんでも田中裕子さんは元々、沢田研二さんのファンだったのだとか。
同じく1982年の映画「男はつらいよ」では、カップル役として共演。
1983年夏頃には、沢田研二さんが田中裕子さんのマンションに通っている姿が目撃されるように。
地方のコンサートでも2人の仲睦まじい写真が撮られるなどして、この頃から交際が始まったとされています。
【ジュリー&田中裕子】不倫の末の略奪婚だった
2人の交際が始まったとき、沢田研二さんは「ザ・ピーナッツ」の伊藤エミさんと結婚していました。
そのため、田中裕子さんとの関係は不倫であると大きくマスコミに取り上げられたのです。
次第に沢田研二さんは自宅に帰らなくなり、田中裕子さんも「必ず彼と一緒になる」とマスコミにコメント。
その後は、沢田研二さんも不倫を認める発言をするように。
交際がウワサになった2年後の1985年にはそれぞれの所属事務所を去り、ケジメをつけたとされています。
- 沢田研二→「渡辺プロダクション」から独立
- 田中裕子→「文学座」から退団
【ジュリー&田中裕子】子供を作らなかった理由とは
沢田研二さんと田中裕子さんの間には子供はいません。
その理由としては、沢田研二さんが前妻(伊藤エミさん)との間に息子さんがいたためではないかと考えられています。
不倫の末に家を出て、息子さんには可愛そうな思いをさせてしまったわけですから、お2人なりの誠意なのかもしれませんね。
【ジュリー&伊藤えみ】息子が1人
沢田研二さんは、伊藤エミさんとの間に1979年3月に澤田一人(かずと)さんという男の子が誕生しています。
しかし、息子さんが8歳のときにご両親は離婚。
その後は母親の伊藤エミさんと、双子の妹の伊藤ユミさんと3人で暮らしていました。
そして2012年6月15日、澤田一人さんが33歳のときに母親の伊藤エミさんがガンで亡くなります。
残された澤田一人さんと伊藤ユミさんは二人暮らしを経て、その後別々で暮らすようになりました。
【ジュリー】息子と25年ぶりの再開
沢田研二さんと息子さんは、2013年の「ザ・タイガース」のコンサートで25年ぶりに再会しました。
離婚後は会えていなかった為、沢田研二さんは息子が楽屋まで会いに来てくれたことを涙ながらに喜んだそう。
【ジュリー】なぜ25年ぶりに会いに行ったのか
澤田一人さんが沢田研二さんに会いに行ったきっかけは、伊藤エミさんから沢田研二さん宛の手紙を預かっていたからと言われています。
亡くなる前の、闘病中に書かれた手紙だったそうです。
伊藤エミさんも長い間息子さんがお父さんに会えなかったことを気にしていたのでしょうね。
まとめ
過去には不倫からの離婚やドタキャン騒動があったりして波乱万丈な生活だった沢田研二さん。
しかし今は私生活も落ち着き、俳優や歌手としてもまだまだ現役で活躍をされてました。
今後も映像やコンサートなど、様々なところでの活躍が期待できそうですね。
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